心の風景

ここの所、毎朝wifeと朝6時半から6時40分ごろに家を出て40分ほどウォーキングをしているので、wifeは朝欠かさず見ている朝ドラの再放送の録画を予約していて、そのうえで家を出るのが日課になっている。

 

再放送の朝ドラというのは、田辺聖子の自伝的小説を基にしたドラマのことだ。

 

2006年の最初の放送当時は、なかなか視聴率が上がらず苦戦していたということだったが、毎日の何気ない日常をとても丁寧に描いていて、改めて多くの朝ドラの中でもよくできた作品の一つだと思う。

 

田辺聖子の名前を目にするたびに、今はもう亡くなられた自分の高校時代の担任の教師を思い出す。

 

僕の出身高は、自由な校風で有名な高校だったが、2年生時の担任だったその先生は当時生徒だった僕たちにとって自由な校風を象徴するようなユニークな教師の一人だった。

 

2年生のころ、卓球部の友達などとの自由な高校生活のおかげで、成績もほぼ最下位に近かった僕をどういうわけか喫茶店に連れ出した。

 

どんな会話を交わしたのかはほぼ覚えていないが、

「あなたは煙草は吸わなかったかしら?」

などと、高校生の僕にまるでそれとは知らぬ風に声をかけながら煙草をくゆらし、煙がかからないよう目の前の煙を手で払いながら、ただゆったりと話しをしていたことをとても印象深く記憶している。

 

その先生は、僕の成績の悪さ(というか授業態度などの素行の悪さ)を叱責するわけでもなく、ただ自分のクラスや僕に起こっている出来事をどこか違う世界から見ていることのように話していた。

 

その先生が小説を出したと聞いて急いで本屋で手に入れて本を読んだ。

 

学生時代むさぼるように本を読み漁ったが、多くの本の記憶は今はほとんど残っていない。

 

ただ、その本の中に出てきたある1シーンを、今でも自分が経験したことのように鮮明に思い出すことはそれこそ無数に心の中に残っている。

 

その先生の書いた短編の中の1シーンは、確か電車で向かいに座った妊婦を巡る主人公の心の動きを追った内容だった。

そのシーンもまさにそういう記憶として自分の心に残っているのだ。

 

それが小説を読むということだろうとも思う。

 

その先生と田辺聖子は確か同じ文学学校の仲間で、朝ドラの中で時々出てくる文学学校時代の友人の一人が、正しくその先生だったんじゃないかとTVを見ながら時々想像していた。

 

こうしてこの文章を書くために当時のことを振り返っているうちに、その喫茶店に自分が呼び出された訳が、当時のクラスで起こったある先生の授業中での先生への嫌がらせ(心無い落書き)に関することだったと何となく思い出した。

 

自分がしでかした訳ではなかったが、酷いクラスの原因を作った一人でもあったので、間違いなく責任は自分にもあったと思う。

 

だからこそ、容疑者の一人として呼び出されたのだろう。

僕に怒っている風でもなかったが、落書きを受けた先生のことを、とても立派な先生なのですから。。

と話していたことを思い出した。

 

その再放送の朝ドラの中で優しい風来坊の兄として登場する火野正平は、いまはその風来坊として自転車で全国を巡る旅を続けている。

3年ほど前、毎回視聴者の心の風景を巡るその番組のなかで、今、父や母が眠る菩提寺が訪問先になったことがあった。

 

ちょうど2週間前の日曜、その菩提寺で母の一周忌をした。

 

前日いつものように京都で一泊し、日曜日の朝に川崎に住む叔母夫婦と、すでに2人とも亡くなった別の叔母夫婦の娘にあたる従妹を京都市内でピックアップして、5人でレンタカーで宮津まで走った。

 

その菩提寺に先に到着していた弟夫婦と合流し、一周忌は無事終えることができた。

 

5人での車での旅では、叔母夫婦や自分が舞鶴に住んでいたころに話が及び、それぞれに様々な記憶を思い出させた。

 

2人はどうして知り合ったんですか? というwifeの何気ない問いに、叔父は、舞鶴に転勤で赴任した当時に、その職場で既に働いていた叔母が、職場の中でもきらりと光る才女で、いつも怒られてばかりいたんだ、とこれまで聞いたことのなかった話を口にした。

 

往きに少し時間の余裕があったので、高速を外れて舞鶴に寄り道をすることにし、ちょっと気を利かせて、何となく記憶にあった叔父、叔母の舞鶴時代の勤務先の建物の前を車で通った。

その建物は、もう50年以上前になる当時の舞鶴の街には珍しいレトロモダンな西洋風の建築物で、当時の商店街の中でも異彩を放っていたことを自分も子供時代から記憶していた。

今は使われている風もなく、ただ建物だけが当時のまま残っていた。

 

叔母夫婦はこの建物の中で知り合って結婚した。

 

今思えばこれは自分が叔母夫婦のために心旅を演出したのかなと思う。

もう80を過ぎている叔父は、何度もその建物を懐かしいと話した。

 

 

 

後で振り返ると、せっかく建物が壊されずにあったのだから、その前を通るだけでなくて、止まって夫婦で写真でも撮ってあげれば良かったと思う。

 

演出家としてはいささか中途半端な演出だった。。

 

でも心の中には強く印象に残っただろうと思うけど。。