4年後の旅

朝、ゴルフに向かうwifeと一緒に家を出て、早淵川沿いを歩く。

 

久しぶりの一人でのウォーキングということもあり、すこし足を延ばして246との合流点まで歩くことにした。

 

5月の連休後から始めたウォーキングだが、途中出張でフランスに滞在していた時期を除いてもう3か月以上続けていることになる。

 

フランスからの帰国後、しばらくコロナの発症と滲出性中耳炎に悩まされていたが、すこし落ち着いた様子。

 

中耳炎は帰りの飛行機の日本への到着直前に片耳だけ耳栓をしながら映画を見ていたことが災いしたと思っているのだが、実際のところは何が悪かったのかはよく分からない。

 

結局はしばらく前から続いていた鼻水や痰の詰まりが中耳炎の遠因でもあるだろう。

 

それでもめげずに続けていたウォーキングのおかげで少しずつではあるが体が軽くなってきた。

 

7月の久しぶりのグルノーブルへの旅は、ほぼ3年ぶりとなる貴重な対面での会議の重要性を改めて深く感じる機会になった。

 


ちょうど中日の水曜日の発表で、時間を取って準備をすることもでき、自分としてはできる限りのことはやれたと思う。

 

ただ、海外への旅そのものからそうなのだが、久しぶりの海外ということもあって旅になれなかった頃のようにすべてに戸惑った。

 

長年の勤続により5日ほどの休みを取れることになったこともあり、会議の終了後、往きで一緒だったSさんと別れ、MSEの住むボジョレーに行くことにした。

 

20年ほど前、フランスに滞在中に研究の世話をしてくれていたMは、僕より4つほど年上の女性で、すでに数年前に夫の定年に合わせて自分も早めにリタイアし、故郷のボジョレーに家を買って住んでいた。

 

元々父親や兄弟がみんなワイナリーを経営していたが、すでに父は亡くなり、高齢の母や娘がボジョレーに住んでいて、家族が多くすむ故郷ということが移住の大きな理由だったのだと思う。

 

夫のMCはグルノーブルの出身なので、自分の故郷ではなかったし、グルノーブルの近くに既に大きな家も持っていたが、そちらを手放して、妻の家族や娘が住んでいるということからボジョレーへの移住を選択したのだろう。

 

M夫妻は20年前にお世話になった時と全く変わらず元気で、またとても親切に僕を迎え入れてくれた。

 

20年前のフランスでの5か月間の滞在以降、僕以上にwifeがMと仲が良く、wifeはヨーロッパに行くたびに何度もM家に滞在していた。

 

2人がボジョレーに移り住んでからも2018年にwifeと姪のA子が何日かボジョレーの家にもお世話になっていた。

 

ボジョレーでの3日間、2人は周辺のいろんな場所に案内してくれたのだが、でも何と言っても僕にとっては、20年前にwifeと泊まったことのあるシールーブルのワイナリーとワインがとても印象に残った。

 

Mの姪が現在ワイナリーを引き継いでいるのだが、10地区あるクリュボジョレ―と呼ばれる特級ワインのうちシールーブルとモルゴン、フルーリの3つを生産している。

 

今回の旅ではクリュボジョレ―を何種類か持って帰ろうと考えていて、その話をMにもしていたので、姪のワイナリー以外にも地元のワインを手に入れられる場所に案内してくれた。

 



また、いつかボジョレーに来てみたいと思う。

 

「じゃ、今度は2人で。」

昨日wifeにそんなことを話していたら、今度はwifeの定年直後に行こうという話になった。

10年後じゃ、かなり老いぼれている可能性もあるので、ちょうどいい時期かもしれない。

 

今回、日本への入国時に現地でのPCR検査を求められていて、帰国直前までちゃんと帰れるのかと気になる時を過ごした。

また、往き帰りの飛行機は、ロシア上空の迂回のため、待ち時間などを合わせると5時間近く長い時間がかかってしまった。

 

4年後のこの世界が、今よりも少し良くなっていることを期待して。