古い写真

最後のトーク以後、年度末のプレゼンが何度も予定されていて、それに出す事前の資料の作成などに追い回されていた。

 

3月末の年度の終わりまで、少なくとも予定されているショートやロングのプレゼンの機会が4回ほどあることになっていた。

 

先週末その発表会の一つが広島で計画されていた。

 

この広島でのミーティングでは、今年から始まったプログラム全体を統括するディレクターが、特に世界的にも注目されている、ある会議の場での議論の準備もあって、新しいプログラムの中でも僕が代表をしているパートの話をわざわざ広島まで聞きに来るということになっていた。

 

共同研究先の企業も以前からこの会議のことを気にかけていて、つい先日も対面での面談の折に、大事な会議なので事前の打ち合わせをした方が良いんじゃないかとも言われていた。

 

早めに資料を作成しておきたいとも思っていたのだが、先に準備しなければならないトークも別にあって、ようやく準備を始めたのは前日の晩だった。

 

せめて最高のプレゼンで答えようと準備にも力が入り、資料をまとめ終わった時には1時を回っていた。

 

出来上がった資料を広島で会議を主催する担当者やメンバーに送付して眠りにつき、次の日の朝、9時25分の飛行機に絶対に遅れないようにと、7時半に家を出て空港に向かった。

前日の打ち合わせで、広島空港からの接続が悪いことが分かり、10時55分に広島空港に着いたらそのままタクシーで向かうので、共同研究先のSAさんには出来る限り事前の打ち合わせをできるようにする、と話していた。

 

横浜で京急に乗り換えた後、空港への支線が分かれる蒲田で特急を降り、向かいのホームの電光掲示板を見たら、ずらっと羽田空港行の表示が並んでいた。

 

そのままふらふらとホームに来た電車に乗り込み、前日の疲れと早起きのせいもあってぼんやりと車内でしばらく立ちすくんで外を眺めていた。

 

10分以上たったかと思うが、なかなか羽田につかないなとふと外を見ると、北品川というホームの看板が目に入った。

 

はて、北品川は羽田線にはなかったはずだけど、、と周りを見渡すと、そこには品川の大都会の景色が広がっていた。

 

頭が真っ白になった。

 

次の品川に着いたとたん電車を飛び降り、絶望的な気分でホームを駆け回った。

何度も人にぶつかるたびに謝りながら走り続けた。。

 

最初に着いたところは新幹線口だった。

 

慌ててもとに引き返し、何とか中央出口を見つけて、タクシー乗り場へと残りの力を振り絞って全力で走った。。

 

やっとたどり着いたタクシー乗り場には長い列ができていた。

 

待つしかないと断念し、ほぼ機能しない脳を抱えて列に並びながら、目の前にいる人に

羽田の飛行機に乗り遅れそうなんです、と説明して、順番を譲ってもらった。

 

列を先に進み、前にいたサラリーマン風の中年の男性に同じように事情を話すと、

俺も羽田に行くのに何で譲らないといけないんだ、

ときっぱりと断られた。

 

じゃ一緒に乗せてもらえませんかとお願いしても良かったのだが、とてもお願いできそうにも見えず、仕方なく前に進むことをあきらめた。

 

タクシーに乗るとすぐに飛行機の出発時間を説明し、間にあうかどうかを尋ねた。

 

いやー、難しいですねー。

 

というのが最初の返事だった。

タクシーの運転手はそれでも言葉を繋ぎ、

高速に乗れたら高速は5分ですよ。

と言った。

 

出来るだけ急いでもらえませんか?

とお願いすると、

何とか頑張って見ますと答えてくれた。

 

高速に乗るまで時間がかかったが、高速に乗ると確かに早かった。

 

一緒に行く予定のSさんにショートメールし、祈るようにタクシーの中でオンラインチェックインを済ませた。

 

事前にいくらほどかかりそうか聞いていたので、その分を用意して運転手に渡しておき、出発口に着いたとたん料金を確認すると、釣りはいりませんからとお礼代わりの言葉を残し、手荷物検査のゲートに向かった。

 

9時25分なんですと手荷物検査の入り口の女性に叫び、端にある急ぎ用の入り口に案内してもらって、その場にいたグランドスタッフに、9時25分の広島往きでチェックインも済ませていることを伝えた。

 

すいません。出発20分前に搭乗を打ち切りました。

 

慌てて時計を見たら9時10分だった。。

 

ちょうどSさんからショートメールが入り、

出発が30分になりそうです。

と連絡が入った。

 

遅れているようですが何とかなりませんか、ともう一度掛け合ったが、

再度、申し訳ありません、と謝られ、

12時10分到着便をお取りしますので、と最終通知の宣告を受けた。

 

打ち合わせの時間は完全になくなったが、次の便に振り替えてもらったおかげで何とか会議の開始時間には間に合いそうだった。

真っ白な頭で、今起こっている事態の顛末をようやく理解した。

Sさんにメールで顛末を告げると、じゃ、広島空港で待っています。

と返事があった。

 

前日の話で食事の時間が取れないことを話していたので、かろうじて力を振り絞って、

食事の時間ができて良かったね。。

とメールをしたら、

飛行機に乗る前にちゃんと食事を済ませてください、と返事をくれた。

すでに死んでます、、

とメールを返すと

今死んでもらっては困ります!

と叱咤激励のメールが届いた。

 

幸い、まだ今日のところは「お腹いっぱい」にはなっていなかったようだった。

 

2人で目的地にたどり着いたころには、ほぼだんだんと息を吹き返していた。

 

全力を出し切って一度死んだ反動もあり、着いた時には何とか挽回しようと気持ちが高ぶり、すでにスパーハイテンションな気分になっていた。

 

Yさんの全体紹介の後自分の番が来ると、打ち合わせができなかった穴埋めをと、かつてないほどの力を振り絞って過去最高とも思えるテンションで全力のプレゼンをした。

 

最後の全体での議論が終わった後、当のディレクターが僕のところに歩み寄り、

「頑張ってください。」

と、暖かい口調で励ましの言葉をかけてくれた。

 

終わってから、一緒にこの顛末を迎えた同僚のSさんと広島のSAさんの3人で、久しぶりに美味しいビールを飲んだ。

 

これから始まる10年の長いレースの幕開けに相応しい波乱の一日だった。

 

帰りはちゃんと一緒に乗ることのできた飛行機の中で、先日の長い最終トークの話になった。

 

絶対に出さないようにときつく言われていたSさんの古い写真の一つをちょうど画面に映した時、なぜかタイミングよく懇親会の料理が届いたらしく、Sさんが席を立って会場を出て行った。

 

それを見せないままに先に進んだのは自分でもちょっと申し分けない思いがあったので、帰りの飛行機でちょうど携帯に入っていたその写真を見せた。

 

それはSさんの学生時代に2人で苦闘した大きな仕事が何とか成功して、トロントの会議で僕が口頭発表を行った直後に撮った、Sさんと、僕たちの仕事の成果の発信をその時ずっと応援してくれていた英国のTSとの、とても素敵な笑顔の写真だった。

TSは2019年に亡くなっていた。

 

Sさんは、自分が学生時代にずっとやってきた仕事の最後の最後のステップで、自分のアイディアが活きて大きな成功の一つのキーになったことがとても嬉しかったと話した。

 

あと10年何とか頑張れるかな、羽田で別れた後、バスの中でそう思った。