2月の終わりごろ、5年間続けてきた研究仲間の報告会で松江に行った。
その初日のミーティングの後の懇親会の際、最近同僚のSさんに僕が何かを言おうとすると
「もうお腹いっぱいです」
と聞いてももらえない、という話をした。
おまけに、家でそのことをwifeにしたら、wifeまで
「お腹いっぱい」
と言い始めたというと、「お腹一杯」がその日一日の流行語になった。
その時、3月初めに予定している大学での最終トークの話が出て、
盟友のMさんや、報告会で集まった卒業生のみんなに
「できれば2時間ほど話をしたいんだけど・・」
と聞いてみた。
年明けから数か月ほど、時間のあるときに集めてきた古い写真や資料の数々を見て、それら一つ一つに詰まったストーリーの大きさを考えると、とても1時間や1時間半ではそれらを話すことができないだろうと思ったからだ。
Mさんはじめ、みんなから
絶対に止めといたほうがいい、と固く言われた。
前半と後半に分けても?
とさらに聞いてみると
「間を取るとダレるから。」
とぴしゃりと釘を刺された。
2時間も話したらみんなもうお腹いっぱいですから、と言われ、じゃ、1時間半に話をまとめることにするとその場で約束した。
その後ぐらいからようやく具体的にそのトークの準備を始めたのだが、
ここのところずっと、後1か月で年金生活に入るとは思えない、チョー多忙な生活を送っていて、
平日昼間の時間帯はほぼ使うことができず、夕食後の限られた時間を使って少しずつトークの準備を行った。
元々、最終トークの折にはハーモニカを吹こうと思っていたので、
ずいぶん前からハーモニカの練習だけは重ねていて、
最初決めていた曲がすでに3つあったのだが、3曲とも音域が少し高音側に偏っているのと、最初に入れようと考えていた曲の一つが、Kちゃんとの大事な合奏曲でもあったので、曲を入れ替えようと考え始めていた。
ある時、財津和夫がコンサート活動を終わりにすることになったチューリップの最後のコンサートツアーの紹介をTVで流していて、それを見ながら
「青春の影」を入れたいと、思い始めた。
「青春の影」は以前からハーモニカでよく吹いていたのだが、どうも僕は多くの曲を勝手にハ長調に切り替えて吹いているらしく、
改めてオリジナルのキーと合わせて見たらやっぱり違っていた。
そこで、年明けからオリジナルのキーに合わせて練習を始めた。
オリジナルは幾つか半音が入っていて、しかもハーモニカを吸って出す音が多く、いつも吹いていたキーと比べると自分にとってはずいぶん難しい曲になっていた。
大好きな曲でもあったので、何とかしたいとこの曲を入れることを決め、それからほぼ毎日のように朝この曲だけは練習を入れることにした。
他の2つの曲はずいぶん前から吹いていた曲で、それなりに自信があったこともあり、この一曲の練習に力を注いだ。
最終トークの準備はとても時間がかかり、結局出来上がったのは当日昼の12時だった。
準備をしていた週の半ばあたりから、おそらくとんでもなく時間がかかりそうな予感があったこともあり、話を前半と後半の2つにわけることにした。
トークは15時から始まった。
事前に登録してくれた参加者リストを見ながら、時折挟み込む写真はできるだけ参加者の顔が写っている写真を選んでいて、トークの時にも言葉を添えた。
前半が終わった時に、すでに1時間半経っていた。。
後半は加速しますから、と言いながら、後半また、話し出すと一つ一つのスライドに言い足りないと思う言葉が次々と出てしまった。
結局トークを終えた時にはすでに2時間半近くになっていた。
最後に間違いなく受けてくれるだろうと思って出した渾身のアニメーションにほとんどリアクションが無かったので、もうみんな相当疲れているだろうということはわかったのだが、
せっかく用意してきたこともあり、仕方なく、
「これで終わりと思ったでしょ。」
と一言発し、これからハーモニカを吹きたいと思います、と言った。
ようやくここで少し受けてくれた。
自分がハーモニカを吹くようになった経緯を一通り説明し、卒業生も含めた研究室のメンバーに音楽ができる人物が多いこと、中でもその時なぜか一番前に座っていたN君がコンクールで優勝するほどのピアノの名手であることを紹介して、こんな人たちの前で楽器を演奏することは無謀なんですけど。。
と言いながら、ハーモニカを手に取った。
「青春の影」を吹き始めて、自分にほとんど体力が残っていないことを実感した。
ここの所ずっと寝不足だったうえに、さすがに2時間半話し続けて、エネルギーがほとんど尽きてしまったのだ。
ほぼ2か月にわたり、せっかく練習してきた「青春の影」はボロボロだった。。
2曲目の「瑠璃色の地球」に入った時、もうほとんど力は尽き果てていた。
何度か失敗したが、それでも何とか力を振り絞って、後半の高音部分を乗り切った。
前日に思いつき、スライドに歌詞をすべて示して吹いたのだが、ちょっと残念に思いつつも2曲目以降繰り返しは省略して、1フレーズだけにとどめた。
額から汗がだらだらと出ているのにこの時ようやく気付いた。
元々ハーモニカは上着を脱いで演奏するつもりだったのだが、それも忘れていたのだ。
慌てて脱いだジャケットを傍らに置き、次の曲のスライドをめくった。
最後の曲は「さくら(独唱)」だった。
この曲を最後にすることはもう数年前から決めていた。
「さくら」は一番最初にハーモニカを吹き始めた時から練習していた曲だったが、最初はなかなかうまく吹けず、ハーモニカのきっかけになったO君の結婚式の曲を決める際にも、幾つかの候補曲の中で、卒業生に真っ先にダメ出しを食らった曲でもあった。
僕が吹いているクロマチックハーモニカは、慣れないうちは低音部分と高音部分の音を出すことが難しく、特に高音部分は肺活量がいることもあって、吹き始めの時はなかなかきれいな音が出せず、蚊の鳴くような音しか出なかった。
この曲は最後の長く続く高音部分が最もサビの部分で、ハーモニカでその部分を乗り切るにはそれなりのエネルギーが必要だった。
どの曲も一番難しい最初の入りの部分が何とかうまくいき、最後は力を振り絞ってサビの部分を押し切った。
懇親会の後、ラボでの研究室のメンバーや卒業生たちの集まりに少し付き合い、それそろ、家に帰らなきゃと家路についた。
ちょうど家では、僕の最後のトークを聞きたいと大阪から出てきた姪のAちゃんがwifeと先に帰っていたので、寝る前ごろには家に着かなきゃということもあった。
ちょうど11時前ごろあざみ野の駅に着いた時、いつものようにA君から
「いまどこですか?」
とメールが入った。
あざみ野の駅と告げると、青葉台で飲んでいてもうお開きで、今から帰りの足でそっちの方向に向かうという。
あざみ野の駅で合流し、結局先日の報告会で一緒だったMさん、卒業生のメンバーと酒を飲んだ。
ハーモニカが上手くいかなかったというと、N君が
「いい音出てましたよ」と珍しくほめてくれた。
「何より魂がこもってました」
珍しいお世辞の言葉だったが、それでもちょっとだけ嬉しくなった。
長い一日が終わった。
1週間前の日曜日、wifeにタイトルに困っていると話をすると、
と言われた。
中島みゆきの歌のことだ。
まあ、確かにそうかなとも思ったが、「ファイト」とタイトルにしたとき、
平板なかけ言葉に聞こえるような気もしたので、
自分の長い失敗や挫折を綴る話のタイトルになるかな?とも思って、結局タイトルにはしなかった。
でもちゃんと中島みゆきが大好きなことや自分のストーリーの中にある「ファイト」という言葉の意味はトークで紹介した。
かわりに失敗や挫折という言葉を盛り込んだ、長々とした仮のタイトルを付けた。
何度も見返して、どうもしっくりこない気がしていたら、ふと自分が学生時代からずっと大好きな佐伯祐三の言葉を思い出した。
佐伯祐三が大きな夢を抱いて渡仏し、その直後にブラマンクの家に訪問して自分の絵を見せた時、ブラマンクは「このアカデミック!」と佐伯を罵倒し、たたけばカチンと音のなる石を描けと言われ、それ以来、その言葉に沿う絵を求めて絵を描き続けたという。
佐伯は絵を描くと必ず周囲に「これも純粋ですか?」とその絵の評価を尋ね続けた。
学生時代に佐伯の画集に添えた芹沢光治良のエッセイでこの言葉を知り、佐伯祐三が心底好きになった。
そのエピソードを改めて思い出し、ずっと家に飾っている佐伯の絵を背景にしてこの言葉をタイトルとして入れ、そのタイトルに、自分の長い研究生活が失敗とか挫折の繰り返しだったことを示す少し長い副題を付けた。
トークの当日、事前の準備で大きく画面に映したそのタイトルを改めて見て、
回りくどいそのタイトルの、酷く言い訳がましいところが目につき始めた。
思い切って副題を全部切った。
自分がずっと問い続けてきたものがこの言葉に集約されている、とすっきりした気分になった。
会の後、2年前から一緒に会社の仕事を始めたTさんが、懇親会で学生時代のサークルの同期だった人物を最終トークの会場で偶然見つけ、それが松江の会議を主催してくれたNS君だったという驚きのエピソードを話してくれた。
以前から2人が共に学生時代にサイクリングをやっていたことは聞いていたが、自分にとって何の直接の接点もなかった2人がまさか学生時代に同じサークルに属していたなんて。。
Tさんはそれともう一つ、僕が披露した「ファイト」という歌にまつわるエピソードを聞き、自分にとって「ファイト」がずっと心の歌だったからとても驚いた、という話をしてくれた。
懇親会でもう一人、3日ほど前に僕が最終トークをすることを別のルートから聞いて、トークを聞いてくれたKさんが、
「青春の影」がとても好きだから嬉しかったと言葉をかけてくれた。
「青春の影」はずっと自分が好きだった女性の家に向かう男性の心のシーンを描いてはいるのだが、悲しいトーンのこの曲がハッピーエンドか悲しい曲なのか、フアンの中でも色々意見が分かれるような複雑な曲だった。
そんな曲だからこそ自分のいわば青春時代を表す曲としてこの曲を取り上げたのだが、そのことを知っていたKさんに、どちらだと思いますか?
と聞かれ、それに答えた自分の言葉がその後ずっと気になっている。
懇親会は、自分が久しぶりに話をしたいと思っていた何人かとは、全く話をすることもなく終わってしまった。
どうしようもなく長い話をしたにも関わらず、その話の中で触れられなかったたくさんのストーリーが今もどこか心に引っ掛かっている。
そんな話をwifeにぽつりとしたら、
「じゃ、もう一回話す?」
と返事が返ってきた。
「もうすでにみんなお腹いっぱいだから、、」
とうとう自分まで、この言葉が流行語になってしまった。。。