再び原点から

15年ぶりという佐伯祐三展を見るため、東京駅に向かう。

 

3月初めの最終トークの際に、僕が佐伯祐三を好きなことを話したこともあって、その後Tさんが、東京で今正しく展覧会が開催されているという情報を教えてくれたのだ。

 

それこそ研究者を志す前からその絵に強く惹かれていたこの画家の言葉を先のトークのタイトルに取り上げて、自分の長い経歴を振り返ったこともあり、この同じ時期に佐伯の久しぶりの展覧会が開催されているということに、正直なところ大きな驚きを感じていた。

 

これまで未公開だった多くの絵が取り上げられたということで、過去には全くなかった充実した展覧会になっていた。

 

年初めからはおろか、このところ全く精神的にも余裕がなく、Tさんが展覧会の情報を伝えてくれなければ、全く見逃していただろう。

 

実際展覧会を見ることになった4月1日は、東京での開催が終わる1日前だった。

 

いつからこの画家が好きになったの? というwifeの問いに対して多分二十歳頃からと答えたが、

そういえば。。と思い出してこの画家を最初に知った画集の刊行年を調べてみると、昭和54年とあった。

 

佐伯祐三はその「日本の名画」という画集の第1回配本として取り上げられていた。

 

当時21歳だった僕は、書店にかなり足しげく通っていて、その中で取り上げられていたこの配本を手に取り、多分その中にあったエッセーを目にして増々この画家に引き込まれたのだ。

 

当時の僕は何物でもない、普通のできの悪い大学生だった。

 

見るものを圧倒するその筆致と、その絵と相まって自分に強烈なインパクトを残した芹沢光治良のエッセーは、その当時、全く将来が見通せない自分の心に強く浸透した。

 

今回の展覧会は、佐伯の作品の全体を極めて冷静に制作時期を追って分析していて、改めてこの画家がたどった迷路のような制作の試行錯誤を共有することができた。

 

展覧会を見終わった後に買った記念画集には、自らも小説家だった先の芹沢光治良の抒情的な文体とは違って、極めて分析的にこの画家の画風の形成過程を辿った高柳有紀子という方の文章が添えてあったが、穏やかで分析的な文章にも関わらず、読みながら強く感情が揺さぶられた。

改めてこの画家の強い情熱にどうしようもないシンパシーを抱くとともに、自分にとって節目となるこの時期に、自分の原点ともなったこの画家の多数の作品に出会えたことをとても嬉しく思った。

 

今日は朝から、この一か月の後始末として、お礼や挨拶のメールの作成などに追われていた。

 

もう一度原点に立ち返ってこの4月を迎えたいと思う。

44年前に抱いた強い衝動を思い起こして。