山路きて何やらゆかしすみれ草(ぐさ)


昨日、今日と週末から始まった学会にオンラインで参加しながら、研究費の申請書の作成と、資金集めのための準備をする。

 

夏に母の納骨が終わってちょうど一か月経ち、行く道を失ったようにもがいていた夏のころに比べるとようやく視線が定まってきた。

 

とはいっても、まだ何も始まっていないのだが、全く先の見えなかった夏ごろに比べるとやるべきことが見えてきたという気がする。

 

この4月から2つの道を並行して進んできたが、本当に忙しくなるのはここからだろうと思う。

 

今ふと自分の足元を見た時に、この芭蕉の句のように傍らに咲いていたすみれに初めて気づいたような気分になった。

パーキンソンの発症に気づく前、書道を習っていた母が書痙になり字が書けなくなったと悩み始めていたころに、母の書いたものをwifeの父が気を利かせていくつか掛け軸にしていた。

 

母が亡くなった直後、wifeが急きょ仏壇代わりにとお線香をあげられる場所を和室に作って、僕がすっかり忘れていたその母の書いた掛け軸を取り出して壁に掛けた。

 

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恥ずかしいことに、これが芭蕉の句だったことに気づいたのは母が亡くなってからのことだった。

 

さてこれからしばらく増々忙しくなるだろう。

 

いつも壁にかかっているこの掛け軸にまた改めて目が行くのは少し先のことになるかもしれない。