憧れ

現在の大学で職を得るまで、僕は4つの大学、2つの研究機関を転々と渡り歩いてきたのだが、自分の研究者としての原点となった神戸の大学の恩師がこの春に亡くなっていたとの知らせが、10月終わりに研究室の先輩から届いた。

 

その研究室は、おそらく当時のK大の研究室の中でも際立ってアカデミックな雰囲気があったのだが、その雰囲気を作っていた人が、当時研究室の助教授だったそのI先生だった。

 

学部の1回生の時に高校のクラブの同窓会の仕事や、友達との遊び、読書に明け暮れて早々に留年することになり、4年目になってようやく1年遅れで研究室選びに加わった僕は、大学に入って以降の最初の3年間とは打って変わり、ずいぶんまじめな学生に豹変していた。

 

豹変と言っていいほどの大きな変わりようで、留年して同じ代となった1年下の学生たちとは学生実験などで時々接するようになり、その後輩(同輩)たちは僕のことを1年間病気で休んでいたと勘違いしていたほどだった。

 

全く気持ちを入れ替えていた僕は、すでにその頃から研究畑への強い指向性を身に着けていたのだが、3回生になり高い関心を持って聞き始めた様々な専門分野の講義の中でも、特にI先生が担当されていた生物化学研究法の講義に強く惹かれていた。

I先生が紹介する研究手法のエピソードは、どれも「研究すること」の魅力に溢れていた。

 

ところが、いざ研究室を選ぶことなってみると、なにが自分に向いているのかが正直自分では判断できていなかった。

 

結局別の研究室を志望したうえに、その研究室に志望が集まったことでじゃんけんの末、1/7(1/8だったかもしれない。。)の1人となってみごとに敗退し、そこで初めて、自分がI先生の講義が一番好きだったことを思い出した。。。

 

15%以下の低い確率。。

 

このじゃんけんのみごとな敗退のおかげで自分は今ここにいる。

 

I先生の研究室は独特の雰囲気に包まれていた。

 

ベレー帽や山高帽など、とても帽子のよく似合うI先生に対して、初めて身近に、僕は研究者への強いあこがれを抱いた。

 

僕は助手のK先生に付いていたこともあって、普段長時間に渡ってI先生と接することはなかったが、時々自分の部屋からコーヒーを入れるために実験室に来た時の実験着姿や、帽子を被って研究室を出るときのI先生がとても凛としていて格好よく、研究者とはこういうものかと思ったものである。

(もちろんそれは研究者だからカッコよかった訳ではなく、I先生だから格好良かったのだということを後々になって思い知ったが。。)

 

当時のK大はまだ博士課程が整備されておらず、特にその研究室は博士への進学を志す多くの先輩が、京都に移っていた。

 

自分もその流れで修士から京都に移ったが、その研究室では長くOBゼミという集まりが月に一度開催されていて、そのゼミに参加するために修士以降も月に一度神戸に通った。

 

OBゼミで先輩たちが行うセミナーの内容は、毎回どれも格調高く、特に京都に移ってから自分が実際付くことになったMさんの「緩衝液の重要性」に関するOBセミナーは今でも強く印象に残っている。

 

その学問的な研究室の雰囲気全体を、正しくI先生がもたらしていたのだ。

 

I先生は僕に対して

「O君はとってもユニークな人ですね~。」

「僕はねぇ、O君には日本酒がとてもよく似合うと思いますよ。」

と独特のイントネーションでしばしば口に出して評した。

 

正直なところどんな意味でI先生が僕のことをユニークだと言っていたのかはよく分からなかった。

単に、ほとんど単位もとれず留年しながら、豹変してまじめに研究していた僕を見て「変わった学生」と思っただけかもしれない。

それでも何となく、自分が憧れていたI先生から「ユニーク」と言われることは悪くなかった。

 

卒業後もI先生と顔を合わせる機会が時々あった。

I先生の定年の際、その後を引き継いでいた先輩のYさんたちが開いた記念シンポジウムに、スピーカーの一人として呼んでもらった時も、I先生は僕を前にして、

「彼は学生時代、とってもユニークな人でしたよ。」

とみんなに話した。

 

 

10月の終わり、I先生が亡くなっていたというメールが、研究室のOB・OGを駆け巡った時、多くの先輩が、自分はI先生に惹かれてこの研究室に入ったと、全く知らなかった先生の死を惜しんだ。

 

それらのメールに対して、僕は少しおずおずと、

 

私も最初の志望研究室の選抜にじゃんけんで負けた後、自分がI先生の講義が一番好きだったことを改めて思い出して、この研究室を選びました。

実験着で、颯爽と研究室に入ってくるI先生の姿や、帽子の似合うお洒落な姿に、当時研究者とはこういうものかと大きな憧れを抱きました。

 

とメールに書いた。

 

I先生の存在が無ければ、おそらく僕はその研究室を選ぶことはなく、今この分野で研究者として研究をしていることもなかったと思う。

多分今、この大学にいることもなかっただろう。

 

でも最初のきっかけは、その前に15%にも満たない低い確率でジャンケンで負けていた、という「いわく」つきの、全く胸を張って言うことのできないほどの、他愛もない「研究(者)への憧れ」に過ぎなかったのだが。