道を繋ぐ*

久方ぶりに復帰してTVで歌うUTADAの曲に聞き入りながら、つい数時間前まで熱海で一緒に酒を飲んでいたM先生のことを思った。

「そばにいなくても誰かとともに(道)を歩く」という想いとは異なるが、誰かが切り拓いてきた「道」の後に自分がいると、強く思う。

M先生とは異なるやり方で道を拓いてきたつもりでいたが、所詮M先生が拓いた道を歩いているのだ。



僕の思わぬ訪問にM先生はずいぶん喜ばれ、もてなしていただいた。

4時間ばかりの時間だったが、久しぶりの楽しい酒と思っていただいたようだ。


体はまだまだお元気なようで、発する言葉の強さも以前とそう大きく変わらないが、20数年前に研究室にいたころに感じた圧倒されるような存在感を懐かしいと思うのは、ずいぶん身勝手な話である。

いつまでもお元気でいてほしいと願う。。


3日ほど前まで滞在していた沖縄からの流れで、ふと泡盛をお土産に持っていくことを思いついたのは、正解だった。

沖縄にいるSさんに尋ねたりして、できるだけ間違いのないものを持っていったつもりだったが、持参した泡盛は結構クセの強い酒だった。

それでも期待以上に喜んでもらえたようで、やっぱり「つながっている」と思ってしまう。


ツナガッテいる。。

村上春樹の小説の中で何度も目にした言葉である。


いや、「繋いでゆく」のが自分の仕事なのだ。

そう思ってここまでやってきた。

これからもただ、「繋いでいく」ことだけが、唯一自分ができることである。



今年からはじまった新しいプロジェクトは、ただ「繋いでゆく」ことだけで作ったようなものである。

これから5年は、よかれあしかれ、これが自分の核になるのだろう。

でもそれも結局は、M先生やT先生の「遺産」なのだ。



初めての沖縄への旅は、これまで国内であったどの学会の旅よりも、楽しい出会いに満ちた旅だった。

研究室のOさんのこと、ちょうど会いたかったH大のYさんとのたまたまの出会い、共同研究先への訪問、、

35年以上におよぶ研究者としての生業の中で初めての沖縄での学会に際して、沖縄出身の人が2人も身近にいることも、全く不思議なことである。

ほんとにツナガッテいるとしか思えないのだが、繋ごうと「もがいて」きたこともほんの少しは寄与しているかもしれない。

何をやってもなかなかうまくいかず、全くいいことがなかった夏ではあったが、先週末の沖縄への旅の初めから今日に至るまで、夏の最後に忘れることのできない1週間となった。