午後からの大きなイベントを前に、研究室でHさんらと食事をしていて、明日から行く予定のドイツの話が話題になった。
いつも通り全く何もプレゼンの用意ができておらず、しかも今回はkeynote speakerということもあって、明日にでも時間を作って明日の晩からの出張の準備をしなければと話していると、Hさんが、どこへの出張でしたっけと、言う。

ほら先日チケットを取ってもらったドイツですと、珍しくHさんに得意げに返事をしたら、

突然Hさんが慌て始めた。


えっ、それって、明日じゃなくって今日の晩じゃないですか??

そう言われて初めて僕自身、事の重大さに気付き始めた。

そう、実はドイツ行きはまさしく今日(27日)の晩、0時55分発の便だったのだ。

スケジュール表には28日と書いていたが、確かに28日ではある。

ただ、それは28日の晩ではなかった。27日の晩だったのだ。

今回行った大岡山での成果のリリースに関するイベントは、今日の4時ではなくて明日にしてもらう可能性もあったのだが(実際発表の日取りは明日の朝でも良いと伝えてあった)、もしそうなっていれば、そちらに時間が取られて多分もうどうしようもない事態になっていただろう。


大きなイベントを終了して、いったん研究室に戻った後、まずはかたずけられることを片付けようと、残っている仕事に手をつけ始める。

8時半に帰宅して、急いで旅行の荷物をまとめる。

10時前に家を出た。

結局また発表の用意は皆無である。

しかも今回は話の大半がこれまで国内外で発表していなかった内容なので、スライドはほとんど貰っていたものから海外での発表用に起こさなくてはならない。

今日の昼間まで明日の出張と思っていたことではあったが、とにかくなんとか出国した。
幸い出発の日ということで、明日に何も予定は入れていなかったのが何よりも幸いである。
今日のイベントだけは、出国前にどうしてもやらなければならなかったことなので、都合がつかなければ間違いなく明日に入れていた。。。


しかしHさんが気づいていなかったらどうなっていたことか。。
考えれば考えるほど、恐ろしい話である。。


フランクフルトで乗り換え、朝8時半にハンブルグに到着。


ハンブルグは初めての街である。

長い間、来てみたいと思っていた場所だった。

もう今から20年以上前、研究室を築くきっかけとなった仕事の競争相手、というよりも、僕らの分野の尊敬すべきH教授がいる街である。

急いで飛び出したこともあって何の情報も持ってこなかったが、唯一この会議に呼んでくれたDのメールを打ち出してバッグの中に入れていた。

空港から地下鉄に乗り、指定された駅で船に乗り換えるため、エルベ川に出る。

この景色を見た瞬間、ハンブルグが好きになった。

指定された通り、一度船を乗り換え、ホテルのある波止場へ向かう。

2つめの船に乗り換えて船が動き始めると、さっきまで乗っていた船と並走し始めた。

船長(といってもそれぞれの船は一人で動かしているようだが。)が並走を楽しんでいるようだったが、自分の国ではなかなか見られない光景である。
さっきまで乗っていた船に別れを告げて次の波止場へ向かう。

ホテルに行くために船に2回も乗るというのは海外でも初めてのことだ。

波止場につけばホテルは目の前だとメールには書いてあったが、波止場につけばというより、船に乗っている時からもうホテルはその波止場の奥に見えていた。

ハンブルグでの短い生活が始まった。

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27日の晩に日本を出て3日目になり、漸く今日自分の発表が終わった。

今回の学会では、飛行機の中やウエルカムパーティーで、何度もお酒を飲む機会があったが、すべて手をつけなかった。

発表の準備ができていなかったからである。

今日発表が終わったが、久しぶりにまともな発表をしたという気分。

30分時間をくれていたので話しやすかったということはあるのだが。。

明日は学会の最終日である。