伽耶子のため、のジョギング*

朝、起きて暫くソファで横になる。なかなか起き上がれない。
多分昨日の晩に「パッチギ」を見たせいだろう。
イムジン河」を歌うところで思わず泣いてしまった。
同じシーンを何度も繰り返して見た。

僕は小栗康平の「伽耶子のために」が大好きだったが、
この途中に出てくる抽象表現にはすこし抵抗感があった。
それでもこの映画の持つ余韻の深さは、第一作の「泥の河」が持つそれと変わらないくらい深い魅力に溢れていた。特にこの映画で主役としてデビューした南果歩が映画の中で話す方言が好きだった。

それに比べれば同様なテーマを扱っていても、「パッチギ」は随分「がさつ」な映画だ。
でも今は多分これでいいのだろうと思う。
少なくとも見る人にストレートにエネルギーが伝わってくる。

僕は、といえば。。。
多分どちらも好きなのだろう。
もう一度「伽耶子のために」が見たくなった。


11時ごろようやく体が起きてきた。
突然ジョギングを始めようと思い立った。
スウェットに着替えてその上にウインドブレーカーをはおり、
外に出てマンションの前から走り始めた。
公園の方に走ると民家園があり、その入り口の前を抜けると右方向に坂が展開している。
そこを駆け上がり始めるとすぐにもう走るのが辛くなった。

坂の真ん中で。。。。
足が止まった。

200mも走っていない!
なんてこった。。。
すでに息が完全に上がっていた。

坂を何とか上がり広場に出てまた走り始めた。
公園の中を横浜市立博物館のほうに抜け、坂を下りると公園の出口が見えた。
ふらふらになりながら何とか公園を抜け、階段を下りて、センター北と南をつなぐ広い道の脇の歩道に出た。
ここからセンター北駅前の橋のところまでだらだらと続く上り坂だ。

「もう止めたくなった。」

すぐに歩き始めた。歩いていても苦しい息が収まらなかった。

何で走り出したんだろう?
そう思ったが、でも走り出したんだから何回止まってでもできるところまで走りたかった。

すでに足がふらふらだったが、もう一度走り始めた。
少し頭が朦朧として前がよく見えなかった。

途中で女子高生とすれ違った。
明らかに避けられたようだった。
何とか橋の下まで来て倒れそうになりながら階段を上がった。

階段の上まで来て家のほうに向かおうとすると、駅へ急ぐサラリーマンや学生が急ぎ足で歩きながら、皆自分のほうに顔を向けた(と少なくとも僕には見えた)。
そのまままっすぐ抜けようかと思ったが、人の波が続く街路樹をフラフラの状態で一人逆方向に走ることに恐れをなした。

すぐに横道に抜けた。

人通りの少ない道に入ると真正面から朝の日差しが目に入ってきた。
疲れと強い日差しでほとんど何も見えなかった。
道の端をゆっくり倒れそうに走りながら家に向かった。
マンションついた時は、思わずその場に座り込みそうになった。

たった2キロ程度の距離だったと思う。
自分の体力がどれだけ落ちているかを思い知った。

暫くの間続けようと思った。