国際会議が終わってから1週間。。まだ、すべて引きずっている。
先週初めにJから突然やってきたKさんが亡くなったとの知らせに、驚くと同時に、過去の国際会議でのKさんのことがあふれるように思い出された。
家族へのお悔やみに気の利いた言葉は全く書けないが、せめて代わりに何かできないかと、古い写真を片っ端から引き出して彼の映っている写真を探した。
Kさんは、僕が参加し始めたころの国際会議の象徴的存在だった。
合うたびに特徴的なオリジナルのネクタイをしていて、また会議のバンケットでは決まって国別の合唱大会を促した。
特に日本好きで、さくら、さくら、などをよく口ずさんだ。
僕は間違いなく何度か彼の写真を撮ったはずだった。特に会うたびに変わっているオリジナルタイを見て、それに引かれていつか写真を撮ったことをうっすらと記憶していた。。
2時間ほど時間をかけて、古いアルバムの中から、ようやく20年前のセビリアの時のバンケットでの写真を1枚見つけ出した。
でも自分のイメージしたものとは違っていた。。
1枚でも見つかったから仕方がないかと半ばあきらめ、Jに返信メールを書こうとしながら、念のためと比較的新しいデジタルファイルをあさっていたところ、10年前のボルドーのファイルからとっておきの写真を見つけ出した。
それは、正しく彼とNさんが大きく一緒に写った写真だった。
僕はその時、間違いなく彼のネクタイにフォーカスを当てていた。。
そしてもう一つ、それは街頭のミュージシャンと彼が一緒に歌を歌っている写真だった。
ちょうどJにメールを送った直後に、それとほぼ入れ違いにJから届いていたメールに気が付いた。
それはJがKさんの家族のためにトリビュートをまとめたいから協力してくれないかという内容だった。
ちょうどうってつけの写真を何枚かすでに送っていたのだが、そこには特に25年ほど前に横浜で開かれた国際会議の時の記録が欲しいと書かれてあった。
そこで彼は中心的な役割を果たしていたのだ。
さすがにその記録は僕には手が出なかった。。
誰かにお願いするしかないか。。
またしばらく時間がかかりそう。。
まったくこの週末は、1週間前に終わった国際会議の余韻だけに浸ってそこから抜け出せずに、貰ったメダルのレプリカづくりに時間を費やし、また、ちょうど知らせを貰ったばかりのワイナリーの展示会へ足を運ぶためもあって2日連続で都内に出かけただけで、ほぼ何も出来なかった。。。
この週末の最後にこの仕事を済ませることで、先週の国際会議から続いた古い記憶への旅にそろそろ終止符を打って、現実に戻らねばと思っていたところなのだが。。