岡崎でのミーティングが終了。

 

直前に思わぬ風邪をひいてしまった後の旅だったが、木曜日に一日休ませてもらったおかげで、何とか発表をこなすことができた。

 

せっかく声をかけてもらったシンポジウムなので、いい話がしたかったが、それなりに楽しんでもらえたよう。

 

それにしても、発表前日のHさんのサポートもあって何とかぎりぎりいい準備ができたという感じ。

 

S君にとっては残念な結果だったが、それも合わせて紹介して、新た方向性を見出すこともできた。

 

こちらに来てからようやく最終日の今日が懇親会であることに気づき、明日の広島への移動のためもあって、岡崎にもう一泊することにした。

おかげで懇親会のあと少し時間ができたので、27年ほど前に住んでいた場所がどうなっているのか気になっていたこともあり、夜の町を散策する。

 

しばらく昔の記憶をたどりながら、夜道をうろうろとさ迷っていたが、なかなか住んでいた場所が見つからない。

 

町の名前には覚えがあったので、もうすんでいたアパートが無くなってしまったのかと思い始めたころ、突然目の前の建物の壁に書かれた文字が昔の記憶を呼び覚ました。

 

〇〇〇

 

まさしくその名前のアパートだった。

正直言って単なる人の名前で、あまりにも安易なネーミングにどうしようもない物足りなさを感じていたのだ。

それに反して建物は当時結構小奇麗な場所と思っていた。

 

念のために近くにあったはずの全く素性のわからない「なんでも屋」(実際そこで得体の知れない冷蔵庫を買ったことがあることを覚えていた)を探したら、その店はなんとちょっとこぎれいなバラエティショップになっていた。

 

かなり怪しい店だったのだが、案外儲かっていたのだ。

 

その近くの駐車場で車にぶつかられたことがあり、その駐車場も確認するとちゃんとそこにあった。

 

すべての位置関係から、間違いなく住んでいたのはこのアパートだった。。

 

2年間だったが、M先生のおかげもあり、消したくても消えないほどの濃密な時間を過ごした場所だった。

 

ここで残した業績は皆無だが、ここはまさしく現在の自分の核となる研究の出発点だった。

 

今回ここに呼んででもらった仕事の内容は、ここが出発点となった研究分野とは直接はつながらないが、結局はいろんな仕事を介してつながっているのだ。

また、今回の発表の場所は、来年横浜で開催する国際学会が、15年前に初めて日本で開かれた場所でもあった。

 

そのまさしく開催場所のホールで、久しぶりに自分が話をするともあまり思っていなかったのだが。

 

今年もあと少しである。

 

あと5年の秒読みが始まった今、自分にとっては、今年あとどれくらいと思う以上に、終了まであとどれくらいと焦る毎日である。

気持ちは焦っても、いかんともしようもないのが実際のところではあるが。。